米村邸 昭和37年頃まで米屋を営んでいた家。のれんの町の東側の家々は、かつて農業用水だった水路が今も流れている。町の人は『井手川』と呼び、1年に1回皆で掃除をする。米村家では当時『井手川』の流れを利用し、大きな水車を回し、米をついていた。のれんは先代が大切に保管していた水車の歯車のデザインを依頼。家の奥には歯車の他、石臼や枡、笊器(そうき)も残されている。