水島呉服店 絞り染めで家紋を染色したのれん。呉服屋ののれんは店内のものが見えやすい様、丈は短く、幅は広くしてあるものが多い。江戸時代、勝山の町は高瀬船の船着場であり、出雲街道の通り道でもあったため、この町だけで5軒の呉服屋があり商業が栄えた。昭和20年には文豪・谷崎潤一郎が疎開してきた際、水島呉服店とは懇意な間柄だった。