水島司法事務所 夫人の提案にそってデザインをまとめた。公平なジャッジにより安らかな決着をみる事が出来るという意味が込められている。最近まで呉服店だった建物で、昭和20年には文豪・谷崎潤一郎が疎開してきた際、懇意な間柄だった。江戸時代、勝山の町は高瀬船の船着場であり、出雲街道の通り道でもあったため、この町だけで5軒の呉服屋があり商業が栄えた。